• 2000年の8月7日

    こんときは、まだドイツに住んでて、一時帰国だったのかぁ・・・
    次の年の個展のための制作はまだ始まってない・・・つうか、まだ日本に完全帰国してない。

    う~、一体、前回の横浜美術館の個展はどんなふうにしてたのか、と過去を覗いてみれば・・・

    これを基準にしたら、10月までは悩んだりしててもいのかぁ~♪と思うけど、悩みたくはない。
    展示するかどうかは後回しで、とにかく描きたいものを描かなきゃ!Yeah!
         

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    小山さんのギャラリーで、ドイツ本用のスライド160枚を整理。
    制作年、技法、サイズそしてタイトルを記入していく。
    たった1枚の絵でも、過去の資料からサイズを探し出すのに時間がかかる・・・
    11時から夜8時までずっとやってたら頭が痛くなり、やっぱり知恵熱発生。
    人には得手、不得手があるもんだと実感するが、やっぱり人に任せられない。
    途中で読売新聞のインタヴューを受ける。
    ポートレイト撮影があると聞いてなかったので、不精ひげで写る。まぁいいか。

    桑原さんが来て、夏季休廊中のギャラリーで制作するとのことでキャンバスを張り出し、自分も絵がむしょうに描きたくなる。
    8時過ぎ、みんなで缶ビール1つづつ飲んで帰り支度。
    小山さんと一緒に三軒茶屋に行き、脇さんらとミーティング。

    とにかくスライド整理で疲れ果てた1日。

    知人友人から「会おう」と電話が多いが、時間がない。
    今自分がやらなきゃいけないこと、やりたいことは人に会う事なんかじゃない。
    それに、暇な時はひとりでボ~ッとしていたいし、ロックフェスにだって死ぬほど行きたいんだ。
    でも作品の資料整理はしなければいけないと思うし、なにより制作できないつらさを抱えて、人に会いなごんではいられない。
    帰国は、人に会うためでもなければテレビを観るためでもない。
    日本で制作し、来年の個展を充分満足できるものにするためだ。

    やりたいことがうまく進めば、人にも会いたくなるだろうしテレビも観るだろう。
    それに仕事のことでは、苦しみなんかはしない。
    回りの環境や無理解が自分をいらつかせるのだ。

    しかし理解者達は黙っていて、僕に全力を出させるようにしていてくれる。心の中で繋がってる人たちがいるんだ。

    もしかしたら、自分にとっては無視されることが一番良い制作環境なんじゃないかと思う。