NYのジョーが送ってくれたMac Demarcoの2ndとNO AGEを聴いている。
NO AGE、まともに聴くのは初めてだけど、めっ~~~ちゃいい!
なんだか、ルースターズや大江慎也のソロを連想させる。
音がそんな空気に包まれている。
かっこよくて、ひとりで聴いていたあの感じだ。
ギターがとってもシンパスティック。
なんだ、この感じは?と再び思う。
80年代の、ちょっと暗い、圧倒的な孤独感を持ったサウンドを彷彿させる。
あの圧倒的な孤独感が、自分を取り囲んでいた。
大学のクラスでは仲間を作らなかったが、上や下の連中とはつるんでいた。
担当教官たちを無視して、櫃田せんせいの家でゴロゴロしてた。
付き合っていた彼女は、明るくかわいくて誰からも好かれていた。
部活じゃ(上手かったからだけだと思うが)キャプテンだった。
それでも、わけのわからない孤独感と共に暮らしていた。
しかし、それが自然に、課題ではない自分の絵を描き始めるきっかけになった。
あの当時、パンクは連帯を生んで、群れを発生させたが、
どこに行っても、自分には孤独感が付きまとっていたように思う。
けれども、逃れられない孤独感は、幼い頃の一人遊びみたいで、傍から見た印象にしかすぎない。
なぜなら、その時には、孤独という自覚がなかったのだ。
あの頃から何年も経ち、孤独というものが解り始めている気がしている。
孤独は、自分を考えることのきっかけを作り、自分に向けて答えを出す手助けをしてくれる。
昔の偉い哲学者が言ってたことが、やっと実感を伴ってきている。
NO AGEは2人組だ。
今、80年代の自分を思い出している。
あの感じが胸の中でグルグルと渦を巻いて、この手を震えさせている。
加藤と2人で曲を作り、オンボロ機材で録音していた20代の真ん中頃。
音が、孤独を崇高なところに連れていってくれていた。
そんな孤独は心強く、精神を高めてくれる。
けれども、孤独を味方に付けれなかった連中もいる。
そういう連中は、何も知らずに幸せに、人々と笑い合って生きる。
スピーカーの奥から流れ出るものを聴き逃し会話している。
今のところ、孤独は僕の肩をもってくれている。