• 12月25日

    NYのジョーが送ってくれたMac Demarcoの2ndとNO AGEを聴いている。
    NO AGE、まともに聴くのは初めてだけど、めっ~~~ちゃいい!
    なんだか、ルースターズや大江慎也のソロを連想させる。
    音がそんな空気に包まれている。
    かっこよくて、ひとりで聴いていたあの感じだ。

    ギターがとってもシンパスティック。
    なんだ、この感じは?と再び思う。
    80年代の、ちょっと暗い、圧倒的な孤独感を持ったサウンドを彷彿させる。

    あの圧倒的な孤独感が、自分を取り囲んでいた。
    大学のクラスでは仲間を作らなかったが、上や下の連中とはつるんでいた。
    担当教官たちを無視して、櫃田せんせいの家でゴロゴロしてた。
    付き合っていた彼女は、明るくかわいくて誰からも好かれていた。
    部活じゃ(上手かったからだけだと思うが)キャプテンだった。
    それでも、わけのわからない孤独感と共に暮らしていた。
    しかし、それが自然に、課題ではない自分の絵を描き始めるきっかけになった。

    あの当時、パンクは連帯を生んで、群れを発生させたが、
    どこに行っても、自分には孤独感が付きまとっていたように思う。
    けれども、逃れられない孤独感は、幼い頃の一人遊びみたいで、傍から見た印象にしかすぎない。
    なぜなら、その時には、孤独という自覚がなかったのだ。

    あの頃から何年も経ち、孤独というものが解り始めている気がしている。
    孤独は、自分を考えることのきっかけを作り、自分に向けて答えを出す手助けをしてくれる。
    昔の偉い哲学者が言ってたことが、やっと実感を伴ってきている。

    NO AGEは2人組だ。
    今、80年代の自分を思い出している。
    あの感じが胸の中でグルグルと渦を巻いて、この手を震えさせている。
    加藤と2人で曲を作り、オンボロ機材で録音していた20代の真ん中頃。
    音が、孤独を崇高なところに連れていってくれていた。
    そんな孤独は心強く、精神を高めてくれる。

    けれども、孤独を味方に付けれなかった連中もいる。
    そういう連中は、何も知らずに幸せに、人々と笑い合って生きる。
    スピーカーの奥から流れ出るものを聴き逃し会話している。

    今のところ、孤独は僕の肩をもってくれている。