初心に立ち返って画面を見る時、ドイツで暮らし始めた頃の空気がまだ自分を包んでくれる。
THE STAR CLUBはもちろんだけれども、KENZIにも随分と助けられた。
ちょうどドイツへ渡る前の2年半、予備校で美術系へ進学希望の高校生たちの先生をしていた。
彼らとKENZIの歳が近かったからか、気の利いた教え子たちはKENZI & THE TRIPSが好きだった。
それはもちろん先生である自分の影響でもあるのだけれど、僕はラフィンやSCよりもKENZIに共感を持つ生徒たちが好きだった。
めちゃくちゃポップで青く純な歌詞とサウンドは、まさに10代のもので、KENZIは自分よりは彼らの側だった。
20歳を半分以上も過ぎて、世の中を斜に見てしまうような自分の眼には、青く輝いている生徒たちとKENZIは同じに映っていた。
僕は青さに憧れを持ってKENZIの歌に共感していたし、もしかしたら自分より若いミュージシャンを初めて観たのかもしれない。
名古屋駅のホームで美大予備校の生徒たちに見送られて東京へ向かい、ドイツへと旅立った。
CDなんか無い時代、日本から手持ちの段ボール箱一杯のカセットテープと共にドイツ生活は始まったのだ。
たとえば、自分にとってブルーハーツはあまりにも健全すぎた。
彼らの歌は素晴らしすぎて、僕は自分の汚れを恥ずかしく、悲しく思うこと度々だった。
KENZIも健全だったが、それは陰の健全さだった。かつてロンドンで見たボロボロのパンクスに感じた悲しくも純なものだった。
ドイツという言葉も通じない異国で、僕はKENZIやSCを聴きながら制作したのだった・・・あの屋根裏のちいさな部屋で。
そこで描かれた絵は、デュッセルドルフ芸術アカデミーの入学試験への提出作品となった。
僕は、運良く合格して滞在ビザも発給され、なんだか若者の出世番組にババ~ンと登場するみたいにドイツ生活をスタートさせた。
といっても金があるわけではなく、日本レストランの皿洗いという古典的なバイトをはじめ、いろんなバイトをすることになる。
そして、その後12年間をドイツという異国で生きていくことになるのだった・・・
まぁ、そんなわけで、僕は今もKENZIには心底感謝している。
そして、これからもずぅ~っと感謝の気持ちを失わないでいたいのだ。
その気持ちを持ち続けて制作し、時にKENZIの歌詞からドローイングを描いていきたいのだ。
PUNKってのは、見かけの恰好なんかじゃない、純な心なんだ!
日和ってしまった大人たちや、制服を着た坊ちゃん嬢ちゃんに中指突き立てるんだ。
ペテン師たちにFUCK YOU!って言い捨ててやるんだ。
僕はスマ・ロ子の『キズだらけの天使達よ』を繰り返し聴きながら、この文字を打っている。
今、曲はちょうど9曲目『昨日の如く』だ。
僕は途中で入るKENZIのセリフに、聴く度に、何度もやられてしまう。
「随分と離れていたな。あれから30年だぜ。でもな、聞いてくれ。忘れたことなんて一度もなかったよ!」