• 「進歩と未来 これからの豊かさのために、戻るべき場所ー / 『THE FUTURE TIMES』 後藤正文さんとの対談」

    私たちが進歩すると、ものの本質に気づくようになる。すると、時間の流れや技術の進化とは、反対の方向へ眼を向けることがあるかもしれない。美術作家の奈良美智が語る、ドイツ、東北、アイヌ。現在につながる過去や伝統に向きあうと、いったい何が見えるのだろう。

    大人の誰かがやってくれる、とは思わない

    後藤「奈良さんのエッセイで『震災があっても自分のやっていることはあまり変わらない』とあったのが印象的でした。ずっと大きな視点で活動されているんだと理解したんです。僕は震災が起きてから、今でもなんですが、詩を書くときにヨタヨタしてしまうんですよ。言葉にしなきゃいけないとき、いろんな迷いがあります」

    奈良「たしかに、自分もテーマとしてやってきたことは一貫性があったんだと気がついたのね。ただ……音楽も小説も、芸術と呼ばれるものはすべて、ある程度の裕福さというか、余裕がないと生まれないのが分かったの。ああいう、ものごとがすべてなくなっちゃう状況があったとき、まずみんなが何を求めるかといえば、食べものであるとか、着るものであるとか、寝るところであるから。その後に来るのが、やっと僕がやってることじゃないかと思ったのね」

    後藤「ミュージシャンは震災の後にいろんなことを言われたんです。『こんなときに唄なんかやっても意味がない』とか」

    奈良「そういうのよく聞いた。でも僕はあのとき、歌を唄える人たちが羨ましかった。歌というのは楽器以前にあったもので、声だけでやるもの。唄うことは、いちばん人々のものに届くんじゃないかと思って。日本にもいたことがある(※1)コルベ神父という人が、ナチスのアウシュヴィッツ収容所で餓死室へ送られたとき、絶望がもう目の前にあるのに歌を唄い続けた。やっぱり歌ってそういう力を持っている。それに比べると、絵を描くことは力を持たないんじゃないか。人間の身体から出ているものではなく、筆とか紙とかキャンバスとかに置き換えていくわけだから、あんまり自分の身体から出ているものじゃない。震災が起きた後にするものではないなと思って、しばらく絵を描けなくなったのね」

    後藤「そうだったんですか」

    奈良「それでもずっとやってきたし、他の人に今さらできないことだから、自分はやり続けないといけないんじゃないかなって。テーマも流行的なものではなくて、10年前も20年前も、100年前も持っている感情から湧き出るものだと思っていたから、どうにかしてまた描きたいと自分なりにいろいろ苦労したんです。それまで自分の作品を深く考えたことがなかったし、いろんなことを考えさせられたんだよね。それは制作だけじゃなく、日常的なことも。世の中の仕組みとか、政治とか、国とか、どうなっているのかよく見ていなかったし。震災があって身を正したところはありました」

    後藤「そういう、震災までなんとなく『誰かがやるんじゃないか』と流していたことが、ふわっと露になった気がします。ここまで滅茶滅茶なことになってたんだと分かって、自分たちより大人の誰かがやってくれると思っていたらいけないんだ、という気持ちもこの新聞作りに結びついているんです。上の世代の方々から話を聞くことが多いですが、その言葉を自分たちの同世代、もっと若い子たちにパスしたい気持ちがあるんです」

    人が多くなると、自分の世界に閉じてしまう

    奈良「本当にいい唄というのは作ろうとするんじゃなくて、自然に生まれるんじゃないかな。作らなきゃいけない状況があって、作りたい!という気持ちから生まれるもの。力んでいてもメッセージ性がとても強い唄ができるし、力まない自然な雰囲気からも、赤ちゃんが言葉を覚えて話し始めるような静かな曲ができたりね」

    後藤「ロックミュージシャンを見ていても、わりと上の世代、特にパンクバンドの人たちはすっと立って、『助けるのは当たり前だろ』と行動へ移したのにスゴく憧れて、自分もパンクの精神が必要だと思ったんです。自分たちの世代はわりと引っ込み思案だけど、もっと何かを始めてもいいわけだし」

    奈良「ニール・ヤングが同じこと言ってたな。『Living with War』(2006年)が発売されたときのインタビューを読んだら『本当は若い連中が立ち上がらなきゃいけないのに、こんな爺さんになってまでなんで俺らがやらなきゃいけないんだ!』みたいなことを皮肉っぽく言ってて。しかも彼、カナダ人なんだよね」

    後藤「そうでしたね。笑」

    奈良「アメリカという国は、そんな悪いところといいところの両方とも大きくなるのが好きで。日本はそのバランスが取れてないから、いいものが増えると悪いものが減っていく。今度は、悪いものが増えていくと、みんなそれに従うほうがラクで流されるとか。なんとなく争うより我慢したほうがいいんじゃないか、とかね。本当は両方があって初めて世界が成立するんだから、両極端のものがあっていい筈なんだけど」

    後藤「同感です」

    奈良「パンクの人たちは、もともと反抗することが使命みたいなものだったから、上から押し付けられるものがあまり怖くないんだろうね。逆に認められて持ち上げられると、困っちゃうと思うんだけど(笑)」

    後藤「はははは。でも普段、ああやって端から見たらちょっと怖いなと思う人たちこそ活躍したのが、僕は社会に向けた見事な皮肉だと感じました。あのとき、僕はパンクやロックミュージシャンが人間的に映ったのに対し、かたや東京のスーパーではお年寄りが『1人5個まで』と書かれている食べものを孫にまで持たせて並んでいたり……」

    奈良「実際、宅配便の集配所には水だったり米だったり、山ほどあったの。被災地に届けたんだろうね。それがスーパーに行くとなんにもないのは、流通が栃木あたりで止まっちゃったから。でも、田舎に行ったら食べ物があったんだよ。10人しか住んでなかったら、誰も独り占めをしないし、分けあおうってなる。都会のように人が多くなるとコミュニケーションが取れなくなって、みんな自分の世界に閉じこもろうとするんだろうね」

    続き...
    http://www.thefuturetimes.jp/archive/no06/nara/index02.html
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    2014年4月発行 THE FUTURE TIMES 06 号 (3年後の現在地) より