レムゴへ来た目的はユンカーハウスを見ることだ。
超ドイツ風の朝飯を食い、森本を誘って街の散歩。
思っていたほど寒くはないが、それでも-5℃くらいはありそうだ。
散歩から戻り、ホテルをチェックアウトしタクシーに乗ってユンカーハウスへ向かう。
タクシーで5分、住宅地の中に突然に現れたユンカーハウス。
写真で見たものが、実物として目の前にあるときの驚き。
ユンカーハウスは、年内には修復を終えてミュージアムとして公開されるとのことで、その準備をしている人に中を見せてもらう。
以下エスクァイア用原稿。
笛吹き男のおとぎ話で知られるハーメルンの近くにレムゴという町がある。幹線鉄道からもはずれた小さな町だ。そんな誰も知らないような町のはずれに奇妙な家が一軒建っている。嵐の夜に道に迷った旅人が、森の中に明かりの灯る館を発見して一夜の宿を借り、そこでおこる世にも不思議な出来事・・・子どもの頃に読んだ、そんな怪奇小説の舞台のような家だ。遠くから見ると蔦が絡まって朽ち果てているようにも見えるが、近づいてみるとそれが蔦などではなく家の外壁に施された装飾的なレリーフであることがわかる。19世紀の終わりにその家は建てられ、その家の設計者でそこに一人で暮らし生涯を終えた男、カール.ユンカーの名をとって、その家はユンカーハウスと呼ばれている。
カール.ユンカー(1850〜1912)は、レムゴに生まれミュンヘンの芸術アカデミーで建築を学び、在学中にはアカデミーからローマ奨学金をもらい1年のイタリア滞在をしている。奨学金を貰うくらいだから、他の生徒よりは秀でたものが彼にはあったのだろうが、アカデミー在学当時のデッサンやイタリアで描かれたスケッチを見る限り、この目の前に建っている家には結びつきにくい。さて、彼は建築を学んだ後にミュンヘンから戻りレムゴに戻って来ているのだが、当時の彼に関する文献はほとんど残っておらず、この地に家を建てて暮らしたカール.ユンカーにまつわる変人としての噂話だけが町の人たちに囁かれて残っているのみだ。
家の中に足を踏み入れると、その壁は外壁と同様に記号のように規則的に配置された木切れで覆いつくされている。骨にも似た木切れは、支持体となる壁自体と共に、ブロンズやアルミなどの金属粉で塗られていて、廊下においては天井にまで増殖していて洞窟の中にいるような気がしてくる。そんな壁はまるでテクノミュージックの旋律のようでもあるのだが、さらにその壁を埋め尽くすように暗い色彩でデコラティブなトーテムポール風のレリーフが掛けられているのだ。それらのレリーフは修復のために現在ほとんどが取り外されているのだが、木切れによるコンポジション的に装飾された壁とは違って内臓のように有機的であり、壁がテクノであるとしたら、それらはヘビーメタルやゴスを喚起させる。そのようなどろどろとした装飾はタンスやベットなどの家具にも施され、そんな家具がこれまた大量にあるのだ。さらに眼をこらすと、床にも単純なモノトーンの線によるプリミティブで記号的な絵が描かれている。しかし、部屋の天井にはイタリアの寺院に見られるような天井画が、きわめて明るい色合いで描かれている。はたしてこの家の主はスキゾフレニックなのか?いや、それは多分違うだろう。いろいろなものが、この家の内部では奇妙にも調和して存在しているからだ。その調和とは、骨や肉や臓物器官、その中に動脈、静脈や神経が複雑に張り巡らされているが、こうして一つの固体として存在している我々の体のようものだ。
そういえば、カタロニアの建築家アントニオ.ガウディも有機的な形態をした特異な建築で知られている。外的環境との調和をいち早く考えたスケールの大きい建築家で、サグラダ.ファミリア教会やグエル公園などの観光名所には多くの人々が訪れる。ガウディとカール.ユンカーは同じ時代を生きたが、外へ外へと広がる建築群を残したガウディに対し、唯一の建築物としてユンカーハウスのみを残し、あくまでも自己の内へ内へと奥深く潜っていったカール.ユンカー。資質の差は歴然としているが、僕にはカール.ユンカーがいとおしく思える。
夕方に小さな駅から汽車に乗ってビーレフェルトへ行き、ICEに乗り換えてベルリンへ。
ベルリンZOO駅を降りてタクシーでアレキサンダープラッツのソニー.センター向かいのマジソン.ホテルへ。
レムゴとは正反対のモダンなホテルにチェックインして、10階の部屋のドアを開けると・・・でかい!
たった1泊なのにスィート並みの贅沢部屋に、荷物を置いて晩飯を食いに街へ。
韓国料理の店に入り、フェリックスも呼んでいろいろ食う。
そしてビールをちょこっと飲んで、ホテルへ戻って寝る・・・