ホワイト.ストライプスのCDをかけながらシャワーを浴びる。
朝飯は、カッコいいけど味気ないかんじのカフェで。
フェリックスの家に行く前に、サターンでCDを漁り、LPで持っているドイツバンドの、同じCDを買う。
これでDIE GOLDENEN ZITORONENのHOBBY RIDERがCDで聴ける!
ドイツバンド以外にもRAMONESの3枚組みも買ってしまう・・・
そして、フェリックスの家を取材・・・以下原稿。
かつて僕はドイツのケルンに住んでいた。以前は化学工場として使われていた建物をスタジオにして住んでいた。そこには僕のほかにも数人のアーティストが暮らしていて、フェリックスは最初にその場所を見つけてきて管理者と交渉し、壁を作って広い空間を仕切って複数の小空間を作り、そこに水道の配管をしたりしてスタジオ・ビルディングに改造した人だった。スイス人の彼は、巨大に引き伸ばされ所々塩素剤の散布で白茶けた白黒写真を発表していて、すでによく知られていた。そこに引っ越してきた僕は、デュッセルドルフのアカデミーを修了したてで、ほんとに新米アーティストだったのだけども、3才年上のフェリックスは優しく接してくれたと思う。僕らは時々パスタやサラダなんかを一緒に作って食べたり、ビールを飲みながら語り合ったりした。工場跡の敷地内は適当に雑草も茂っていて、外にテーブルを引っ張り出しての食事なんかは(メニューはシンプルでも)ほんとに贅沢な時間だった。けれども、ある日突然に管理者から建物の取り壊しを宣告され、アーティストたちはそこを離れることを余儀なくされたのだった。僕は日本へ戻ることを決めて12年間住み慣れたドイツを去り、フェリックスはベルリンへ引っ越していった。それが4年前のことで、僕は東京の郊外にプレハブの倉庫を借りて、そこをスタジオに改造して住んでいるし、彼はやっぱり古い建物を改造して住んでいる。
さて、前置きが長くなったけど、エスクァイア編集部から住居の特集ということで、ドイツで心当たりがないかと聞かれ、まっさきにフェリックスのことが頭に浮かんだのだった。そして、フェリックス邸を訪ねることになったというわけだ。
ニュー.フェリックス邸は屋根裏部屋(といってもテニスコートくらい広い!)を改造しているのだけど、天井が見上げるほど高い。ベッドルームとバスルーム以外に仕切りはなく、そんな大きな空間にキッチンや応接用のソファー(旧東ドイツの国会にあったものの払い下げ!)があり、天井まで届く本棚を真ん中においてその後ろ側に制作するための作業スペースをとっている。近年は写真ではなくコンピューター.ゲームのようなインタラクティヴな作品を作っているので、作業机の上には数台のコンピューターが並んでいる・・・かっこいい・・・かっこよすぎる、フェリックス・・・。片面の壁全てが光の入る大きなガラス窓(もちろん2重ガラス)で床はフローリング、目を凝らせば窓に沿って床には暖房用のスチームヒーターが埋め込まれているではないか・・・。ちょっとしたテラスもあったりなんかしちゃって・・・ほんと、羨ましくなる。最上階にあるために、見渡す景色もゴージャスで、ベルリンのシンボルであるTVタワーも見える。自力での改造のため半年もの時間を費やしたとのことだけど、羨望オーラ全開の僕を見てフェリックスは満足そうだ。改造する前の写真を見せてもらったら、今の状態が想像できないようなボロボロの屋根裏空間で、ほんとに全てを新しくリフォームしたんだなぁ・・・と思った瞬間、食卓用のテーブルと、それを囲むバラバラな種類の椅子たちが、あの懐かしいケルン時代のものであることに気付いて、僕はフェリックスに向かって微笑んだ。彼も「全てが新しくなければいけない必要はない」と言って涼しく微笑んだ。
フェリックスにさよなら言って、ホテルで荷物をピックアップしてベルリン・テーゲル空港へ。
太田さんたちはもう1日いるので、帰るのは僕一人なのにみんな見送りに来てくれる。
ベルリンからフランクフルトへ飛んで、東京行きに乗り換え。
搭乗ゲートに行き、手続きしたら・・・なんとビジネスクラスに!
なんでも、予定していた飛行機と機種が違ってしまい、僕の座席番号がその機種だとビジネスの席になるのだという。
ビジネスクラスの食事は、まずは前菜から陶器の器で出てくるのだ!
そしてメインディッシュがあって、デザートと続く・・・のを堪能しつつ快適に寝るのであった。