ドイツのことを思い出している。ドイツの行った戦後保障がやっぱり世界的な基準になるのではないかと、ふと強く思った。たとえば、かつて中国が「いいよ」と言ったからって、それで終わりじゃなくて、100年前のことでも、今保障することで歴史を再認識し、結局それがドイツの多額の保障と共に、ドイツ産業が旧東欧に進出したように、日本の当地へのビジネスチャンスになるはずじゃないか? どんなふうに舵をとって日本は進んでいこうとしているのか。
豊田市美でむっちゃんが言ってたこと。僕が湾岸戦争の時に泣きながら意見してたっていうような気持ちは今も変わらない。ベトナム戦争やアメリカ帝国主義への反抗、愛と平和の主張をすることに精力を注ぎ、かつてのドイツ学生運動が展開していた自国の過去への批判から反権力を論じるようなことは、日本の学生運動にはなかった。ただ単に反権力、反体制だったのではないか。自国に対する自己批判はおこなわれていなかったじゃないか。
僕はドイツで、絵のことはあんまり学ばなかったような気がするけど、どんなことが、何が、グローバル・スタンダードという概念に当てはまるのかということは、じっくりと考えられたような気がしている。
かつての安部や麻生という首相の家系が戦犯リストに名があったことなど、儒教的なお国柄だからかどうか、彼らの口から反省的な弁などは聴いたことがない。自民の根っこは戦後のアメリカ主導の延長であるのは明白だし、かといって鳩山(民主)の動向は北欧やドイツの政治に比べて幼稚なままごとに見えてしまう。
ああ、なぜに今、自分は熱くなってるのだろう?この前の民主大勝利の選挙が初めて行った投票だからか?何かが変わる!と期待したからか?今の政権がパッとしないからか?
「♪ 誰が首相になったところで 今の生活変わりゃしねぇ~♪」と歌ったのはスタークラブだった。それで今の気持ちを表せれるのなら、僕も今ここで、机の上にのっかてる物を左手で払い落とし、紙を置こう。そして、鉛筆を持って右手で描くんだ!
その前に書きとめておく。日本は戦後ビルマ、フィリピン、インドネシア、南ベトナム、韓国に約1兆950億円払ったが、ドイツは東西統一後にも旧東欧に払った1兆円を合わせて約8兆円を支払っている。他国民への強制労働に関しては国と企業が共に支払った。
ドイツにいた頃、いつもドイツ人に対して漠然とした敗北感が付きまとっていた。連合国が反ナチの立場でドイツに強くあたったといこともあるけど、それよりもアメリカが日本に対して反何々の立場を持たず、ただ単にアジアにおいて使いやすいようにしていたことを感じて言いようのない悔しさを感じた。戦後ドイツの扱いは、もちろんユダヤ系の米社会の力がそうさせたのだろうけど、反ナチという基板上に扱ったといえるだろう。そして、日本の扱われた立場はどうだったか?日本や他のアジア諸国を連合国はどう見ていたのか?僕らはどう見られていたのか?という問いが頭に浮かぶのだ。