ここんとこずっと粘土で、陶器にするべく立体作品を作ってた。滋賀県の信楽、あの狸の焼き物で知られているとこで、作ってた。そこは県が運営する美術館に隣接したアーチスト・イン・レジデンスで、僕の他にも何人かの作家が滞在制作していて、それは日本に限らず、世界中から来ていて、そんなインターナショナルな雰囲気の中で制作していた。だいたいみんな1ヶ月から長くても3ヶ月で制作を終えて去っていくのだけど、共に過ごしただけあって、別れの時はやっぱりちょっと寂しくなる。そんな自分も制作を終えて去る時がやってきて、ホッとするような安堵感もあるけど、ここで得たものの大きさと比例して、去ることを思うと心が大きくきしむようだ。
外国からやって来た作家や日本の作家と、同じ屋根の下で制作し、食べ、語って過ごしたのは通算すれば半年以上になる。いろんな楽しいことや感動することが無かったわけがないじゃないか・・・
朝から晩まで、起きてる時はずっと制作し続けていた60歳のダニエルは、フランスからやって来た。彼とは同じ空間の中で競うように制作した。わき目もふらずに制作している彼だったけど、ふと「お茶でも飲むかい?」と日本茶を煎れてくれたっけ。僕が制作してたスタジオは彼と2人で使っていたのだけど、彼と同じ空間にいることは常に心地よい緊張感と向上心を与えてくれた。
そのダニエルが去って、エストニアから来た51歳のイングリット。お互い黙々と作ってて、スタジオの中はしばらくしんとしてたっけ。僕はやっぱり音が欲しくて「なんかCDあったらかけるよ」って、プレイヤーを持ち込んだ。彼女はすぐに2枚のCDを持ってきて、それはJ・レノンとプロコルハルムだった・・・ああ、同世代。僕も70年代のCDをかけて、気持ちよく制作した。彼女が帰る時もらった手紙にはこう書かれてた。「同じ空間で制作できたこと、それはとても嬉しいことでした。もちろん70年代のロックと共に!」
その後もイギリスからやってきたハンス・コパーに習ったというアリソン。彼女は王立美術大学の先生で、最初はとっつきにくいと思ってたけど、ある夜、ちょっと酔っ払ったらすごく気さくにしゃべりだして、60歳のはずが精神年齢は20代みたいで、イギリス民謡の話ですごい盛り上がった。
晩御飯をみんなで作って食べた後も、僕はだいたい夜2時くらいまで制作していたのだけど、そんな時間になるとさすがに僕ひとりになる。けれども、隣のスタジオではやっぱり大谷くんとか若い連中が制作していて、彼らが制作を終えた後、僕の制作を手伝ってくれたりした。しばらく僕の制作を眺めていたかと思うと、何も言わずに粘土を手渡してくれたり、ひび割れたところの補修をしてくれたりした。ある夜、大谷くんだけでなく植葉さんも一緒に手伝ってくれた。植葉さん、彼女は学生の時に僕のレクチャーを聴いたそうで、なんか恥ずかしいようなうれしいような・・・ううう。大谷くんは沖縄、植葉さんは京都で美大生時代を過ごした。身近にいろんな分野のアートを見た人たちは、やっぱり親近感がある。彼らと陶芸の話をまったくせずに、さりげなく美術自体の話が出来たことは良かったなぁ・・・。大谷くんから誘われて野焼きもやってみた。あたり一面真っ暗闇の野原で、窯の火だけが煙突から重く赤い炎を吐いて唸ってた。朴訥としたこの青年からは、ほんとに力をもらった。
施設のスタッフには格別お世話になった。僕ら滞在作家を自宅に呼んでご馳走・・・というか飲み会をしてくれたり、もちろん技術的なサポートも親身にしてくれた。そうだ、石山くん。僕に初めてロクロをおしえてくれたのは石山くんだ。彼の経歴はとても面白い。某人気少年マンガ誌にマンガが載ったこともあるのに、マンガ家にはならず、庭師になって造園や木々の世話をしていた。そして何故か陶芸に興味を持ち、独学で作陶をするに至った。石山くんが奥さんと住んでる家は、まるで自分が大学時代に住んでたような感じで、猫が二匹いて、そこにおじゃますると学生時代に戻ったような気分になった。
自分の作品を一生懸命に、精一杯の力を注いで作るのはもちろんだけれど、そんな気持ちを共有できる仲間がいるということは素敵なことだ。僕はこの数ヶ月、そんなスタジオに滞在して、みんなで料理したり飲んだりと、なにかしら学生時代の再来のような時間を過ごした。というより、まさに学生生活アゲインだった気がする。思い出すと、なんか嬉しいけど、ちょっと恥ずかしい。
そんなふうに過ごした時間の中で生まれたものを、今度の個展で発表することになった。自身初めての陶器による展覧会になる。足掛け3年あまりの陶芸修行は、その道のプロからしたら笑えるくらい短い期間だ。けれども、今まで自分がやってきた造形作法を基本に置き、その延長として粘土で形を作った。思うに初心者ではない。作品の出来映えに対し、経験が少ないとか、まだ慣れてないとか、そんなの言い訳にもならないが、まぁ、あのスタジオから外に出た作品たちが、ギャラリー空間でどう見えるのか、どちらかというと不安というより楽しみなのだ。