時々、自分の感性がとてつもなく恥ずかしく思えることがあって、そんな時に過去作品たちを画集に見てみると、それはそれは幼く、未熟であるような表情でもって作者に語りかけてくるので、ほんとに穴があったら入りたくなってしまう。
しかしながら、この世の中には、僕と同じように夜に書いた手紙なんかを朝に読み返して、赤面するような人たちはいるらしく、そんなみんなから共感している風な手紙をもらうと、僕もなんか自分のやっていることに社会的な意義みたいなものがあるのかなぁ、なんて思ったりするのだ。
恥ずかしいと感じることは、自分を曝け出しているということ。ちょっとカッコつけてる自分が、そこに虚勢を感じて恥ずかしくなるのも同じだ。なんとか今までの対面を保とうと努力することの繰り返しが、成長するということにつながっていくのだろう。
僕はいつも赤面していたい。