僕は、高校を出て上京した頃は、全くの不良で、それなりに悪い人間だったはずだ・・・
最近、高校を出てから上京後、そして愛知での学生生活時代の写真を整理している。
なんだか恐ろしい写真がいっぱいあって、自分でもショックだったりする。
愛知県立芸大で学ぶために、東京から名古屋郊外の長久手に引っ越した。
愛知芸大という少人数でアットホームな学校に通うことになった。
それまで通ってた武蔵美のような大きな学校では、先生なんかから個人的には絶対に声なんてかけてもらえなかった。
愛知では、それまで雲の上の人だと思っていたような『先生』から、声をかけられ御飯やお茶にも誘ってもらったりした。
そして、家族や兄弟のように接してくれる同級生や先輩、後輩に出会った。
いっつも、誰かの下宿に集まっていて、密な時間を過ごしていた。
隔離されたような小さな学校で、みんな学校周辺に住んでいた。
雨が降れば道がぬかるむようなところで、農家の離れを改造したような下宿だったりした。
僕は、そこでの生活を感受し、そのおかげで少しは優しくなれたのだと、たった今、あの頃の写真を大量に見ていて気がついた・・・
写真を見ている限り、僕は自分が思っている以上に周りのみんなから好かれていて、みんなと楽しくやっていた。
あの頃の自分が気がつかなかったことが、再び見る写真の中にたくさん発見された。
僕は、ドイツ生活で個に向かい、今の自分の核となるものを確立したと思っていたし、確かにそうに違いない。
けれども、そんな個に向かえるような(すべてをそのままにしても、再び戻ってこれるような)安心感を与えてくれたのは、あの名古屋郊外の山の中での生活だったのだ。
80年代の自分の写真は、とがったような風から、だんだん爽やかな青年に移り変わっていく・・・
いろんなことに気づくのが、いつも遅いでかんがや~!