人より先に、時代の空気に求められていたと思える90年代。
自分の絵はまさしくタイムリーだった。
そして、人に求められるようになり、
流行のような波に乗って、数年前に落ち着いた。
忘れられていくとは思わないが、定着したとも思えない。
定着したのは自分という作家ではなく、表面的な自分の絵のイメージだ。
そして、そこから生まれた後追い達の描くイメージだ。
どうしても悲観的に考えてしまうけれども、
周りのことは、楽観的に考えるよりはいい。
さて、自分はどこへ向かっていくのだろう。
自分の作品たちは、鑑賞者とちゃんと通じあっているんだろうか。
何かを求める人たちは、実にいろんなものを求めて生きていて、
自分の絵は、一時的に求められるものでありたくはないし、
普遍的なものでありたいのだけれども・・・
そんなことを考えることは、自分の眼を曇らすだけだ。
俺は、人を相手にしているんじゃなくて、
自分自身を相手にしているんじゃなかったのか?
鑑賞者に依存するような自分になっちゃおしまいだ。
そんな気持ちを持ったら、それは自意識過剰野郎だ。
いつかこの世から消える自分、を見せるんじゃなくて、
自分が消えても残っていくものを作りあげなきゃ!
ただただ、描きたいものを、描きたいふうに描く。
ただの作業にならないように気をつけて、
技術で描こうとせず、描きたい気持ちで描くべし!
今まで自分の心に響いてきた画家たちのように!
テレビの画面やメディアの中は架空の世界だ。
目の前にあるものや、鏡に映る自分と会話して、
そこから形を作っていくべきじゃないか、自分!
そんなこと、ずっと前からわかってる・・・
時間の進み方が早くなっていってる。
そして、絵は・・・全然うまくいってくれない。
世の中はどんどん変わっていってる。
自分はそんな流れに逆行してる気がする。
つうか、逆行したいんだ。
・・・と言ってしまうのは、ちょっと安直過ぎる。
なんだろうか・・・過去をもっと引っ張りたい。
もっと記憶の深く、感情を再び確かめたい。
記憶の中にある、映像や心の流れ。
反芻したいんだ。
記憶にはそれだけの価値があるんだ。
そして、自分はまだまだ顧みれていないんだ。