今日からまた久々のPrivate Diaryだ。
Twitterで呟いてると、まるでメル友のようなリプにうんざりだよ。
こうして書いてる日記が一番自分らしい。
今んとこは沢マンでのドローイング展示を考えなきゃ。
と、思ってみても、結局は180×150cmのキャンバスを3枚並べてる。
何が描かれるのかは自分もわからない。
沢マンはドローイング展。
ドローイングは、焦ることはない、何枚でもできるさ。
たった一日、グッとくる音楽があればいいんだ。
それに関しては他力本願な自分。
問題は、グッときたら、ガァ~って描けるかだ。
心が受け止めたら、自分の中で共鳴させて、投げ返すんだ。
感じてるだけじゃダメなんだ。
コミュニケーション、キャッチボールだぜ。
それが対等でいられるってことかもな。
相手がちびっ子でも巨匠でも、受け止めたら返すんだ。
でもなぁ、カッコ良く投げ返すことだけ考えて、心で受け止めない作家が多すぎるぜ。
けどまぁ、そういうやつらが美術界でも出世するんだろう。
ほとんどのやつら、イベントのようにオーディエンスを気にしてる。
そんでもって、サービス精神たっぷりな作品を作ってる。
そんなんが流行りの歌手や芸人のように、一世を風靡するんだ。
あ~俺だって、そんな作品を作って、注目されたいぜ!
って思っちゃうけれど・・・それじゃ広告代理店、作られた流行歌手だ!
でも、それが人に向けて発したいっていうあいつらの欲求なんだろうから、やつらの心のままなんだろう。
ただ俺が、そういうことに違和感を持ってるだけってことなんだ。
最後に思うことは、いつも同じ。
自分は職業作家じゃないってこと。
みんなに見てもらって、自分の存在を確かめて満足してるってことでもない。
そこに行き着くんだよな。
インタヴュアーたちは、最初っから俺をアーティストだと思って聞いてくる。
俺は、自分がアーティストだとは思っていない。
周りの連中が、いつの間にか勝手にそう呼び出しただけだ。
アートシーンやマーケットなんて興味は無いよ。
目に見える人たちに、目に見える形で作品を見せるだけでいい。
あ~あ、あいつらはインタヴュアーがやって来ると、生き生きしてるんだ。
カッコつけてパフォーマンスしたりして、滑稽だってわかってないんだ。
俺はさぁ、自分が滑稽だってわかってる。
こうした想いを、誰にも知られずに真剣に語ってる。
でも、俺は忘れられてなんかいない。
今こうして悩みながらも精一杯に制作してる絵は、未来の人々に届くと思うんだ。
こうして語ってることも、いつかはきっと見知らぬ共感者の前に現れるんだ。
未来の人々に、忘れられてなんかいないんだ。