• 6月15日

    小さい絵、といっても100×91cmだから小さくはないのか? それを2枚完成させて、ドローイングも何点かいいのを描いて、やっと始まった感じ。

    始まったというか、自分のモードが制作主体に切り替わってくれた。
    ドイツ時代は、いつでも制作モードで、あ、戦闘モードのほうがカッコいいかも。
    ・・・その戦闘モードで、暮らしていて、戦いの後に絵がどんどん増えていってた。

    日本、母国というところは、言葉が通じて昔からの文化を共有しているので、なんの違和感もなしに世間と関わらざるを得ない。
    ドイツ時代が、純粋培養の部屋の中で生きていた(実際、そうだった)とすれば、日本では社会との否応なしの関わりの中で制作していかねばならなかった、つうかならない。

    そう考えると、あの異国人として暮らしたドイツという国で、ある意味心理的に隔離され、社会的プレッシャーなど無く自由に無限の時間を感じながら、その時間を無駄にすることなく溢れれように絵が描けていたのは貴重だ。

    あの時期に、ドイツという国や社会に溶け込むような努力をしていたら、今の自分はないだろう。
    そして、お互いに画学生としての平等意識で付き合ったドイツ人たちや、アジアや共通文化の存在を心底感じさせてくれたアジアからの留学生たち、学生寮で一緒だった難民としてやって来たベトナム人たちの存在もある。

    日本に戻ってから感じ始めた得体の知れないプレッシャーの元が、やっとわかった(遅い!)と同時に、それに立ち向かう力も自分は持ち合わせているのだということも確信している。

    去年の末に描いた130×97cmの絵を、やっぱイマイチだ!と上から描き直し始めた今日。

    ま~、やるしかない!