• メモ的に

    子供の頃の自分は、ありのままに境遇を受け入れていて(弱者はいつもそうだけど)、お金持ちやスラムなどの環境関係なく、子供たちがそうであるように、その中でちゃんと楽しみを見つけていた。
    そして彼らがそうであるように、外から自分を見るということが出来なかった。

    子ども=社会的弱者、と仮定しても、あまり実感はないのだけれども、マイノリティという弱者を想像すると、自分の心の中にある気持ちがどこからやって来るのかわかる気がする。
    たとえば、発展途上国では人数的マジョリティが弱者ではあるけれども、日本のような国ではマイノリティが弱者になる。

    それは中央集権の国で地方出身者ということなのだけれども、地方という弱者が押し付けられる役割が、故郷を離れて具体的に感じられたし、ドイツに住んでいた時は、日本という国が大戦の敗戦国であるという弱者として見れることに驚いた。
    日本に戻ってみると、、、中国では中華思想というものがあって、自分の国が世界の中心であるように思うらしいが、日本の人たちは、まさに文化から食事から教育からテクノロジー等々いろいろと、世界の中でトップレベルだという思想に違和感を感じていないように思えた。

    たとえば、ロックといえばやっぱりアメリカ、イギリスが中心であるはずだけれども、
    それはそれで置いておき、日本の中だけに存在する音楽が多々あり、それを世界の中心のように感じている。
    コメディアンに対してもそうであり、言語的な表現は仕方ないが、一発芸、一発屋を熟練の芸人たちと同等に見る、あるいは人気でそれ以上に感じていたりする。

    続く