• 子供の描く絵

    ここ数年の間で自分が変わったなぁと思うことに子供に対する見方というか、彼らとの付き合い方があります。自分は子供の絵などを描いているので、さぞかし子供のことを理解していると思われているかもしれませんが、実際は子供を相手にするのが苦手だったし、子守りのようなことをするのはエネルギーを吸い取られるようで疲れました。自由奔放で人目を気にせずに自己主張できる彼らを羨ましく思いながらも、そんな彼らと同じ目線で関わることが面倒くさかったのかもしれません。

    ところがここ数年の間に子供を持つ知人友人たちが増えて、とうとう自分も彼らの子供を相手に子供の世界に入り込まざるを得ない状況になりました。そして付き合ってみると、自分も子供だった時が数十年前にあったこともリアルに思い出し、彼らの気持ちや考えもわかるようになるのだから不思議です。今では彼らも僕のことを親の知り合いの大人としてよりも、何ていうか彼らの側にいる仲間として認めてくれているようで嬉しくなったりしているのですから面白いものです。

    さて、松本竣介には子供を描いた絵や、子供の描いたものから発想を得た絵があります。本格的に創作活動に入ってから、結婚を経て最初に産まれた息子を亡くしますが次男を得て、その子が絵を描くようになると子供の描いたものが元になって生まれる作品が出てきます。自分が知る限りでは1943年に描かれた《電気機関車》《牛》《象》、そして1948年に描かれた《せみ》《汽車》があります。

    『ところで、残された竣介の資料のなかに、二ツ折の紙片があり、そのなかには小さなワラ半紙に鉛筆で車や汽車を描いた子供の絵が数枚はさまれており、そしてその紙片には竣介自身による書き込みが次のように記されていた。「9-12は 作者の息五才の少年の自由画を素材としたものである。この様な素朴な感覚の中に絵画的に純粋な効果を発見することは画家としての喜びである。」この書き込みが、いつ、何のために書かれ、また冒頭の「9-12」が具体的に何を指しているのかは不明ながら、そこにはさまれていたような次男莞の絵について述べた言葉であることは確かであろう』(1986年、東京国立近代美術館、松本竣介展カタログ、p. 117)。この「この様な素朴な感覚の中に絵画的に純粋な効果を発見することは画家としての喜びである」という記述こそが、自分がここ数年の間に子供たちと密に接する機会を得て、一緒に制作(というか、自分は彼らが制作する補助をしただけであって、自身が筆を取って何かを描いたわけではないが)などをして感じたものと同一であるのだと腑に落ちました。子供たちが持つ純粋な感覚は、傍からどう見られるかとかとは無関係に、彼らの流儀に従って言葉や線になって大人たちに降りそそぐのです。画家松本竣介にとってそのような子供の感性によって描かれた表現は、かつて無心に教えを見出そうとした西洋の画家とは異なりながらも、画家にとっては美術の神髄に近いものであったのではないかと想像します。

    僕は彼と絵描き仲間であった麻生三郎から絵を描くことを教わりました。麻生が教鞭を取る武蔵野美術大学に入学したのは、ふたりが知り合った頃と同じ年頃でした。二十歳という自分の若さ故に、恐れも無く麻生せんせいに靉光や松本竣介の話をねだったのですが、技法や方法論よりも画家として生きていく心構えを先人たちの生き方から学びたかったのだと思います。そんなヒヨッコの若者にも麻生せんせいは優しく接してくれました。自分は戦争を知らないし、日本の現代絵画の黎明期にもリアリティを持ち得るのは難しかったと思います。それでも頭の中で疑似体験するかのように妄想してみたりしながら、当時の社会状況から美術を理解するように努めてみると見えてくるものがありました。それは70年代から美大生の会話に登場する「コンセプト=観念」なるものではなく、もっと人間的なものでした。たとえば実際に戦闘を経験した元兵士の体験談のようなものでもあるのでしょうが、そのようなものを全く超越した子供による絵画言語でもあったのではないかと思います。つまり、松本竣介の1943年に描かれた、彼の子供の絵から、その美術的に純粋であると思えた要素を発展させて定着させた絵画のようなものなのです。

    21世紀に入ってから、僕たちの生きている時代はどんどん加速して進んでいるように思います。そんなことに不安な気持ちになりながらも、友人たちの子供と触れ合う度に、僕は自分たち人類の感性なんて先史時代からそんなに変わってないって思ってしまいます。画家、松本竣介がひと時でも子供の感性に惹かれたのは、数々の美術的なものを試しながらも、不意に自分の息子の絵から見えたものに感じた想いからだったのではないでしょうか。美術という大きな命題の下で、雨宿りに似たような瞬間であったとしても、ひと息かえる時というものは美術を越えて愛に微笑む瞬間でもあるのだと思います。美術を学んで理解できることとは別に、生きているというだけでわかるという嬉しいことが、あの数枚の絵にはあるのだと思えるのです。

    「松本竣介 子どもの時間」展 大川美術館 図録掲載
    大川美術館 2019年