• ばななさんと僕

    一九九七年、『深い深い水たまり』という自分の作品集が出版されることになって、編集の方から誰かに帯文をお願いしようと思うのだけど、誰かいませんか?って聞かれた時、頭にパッと浮かんだのがばななさんだったんだ。なんか今この時代を生きてる作家で、全ての作品を読んだことがある人に帯文をたのもう! それだったら村上春樹さんかばななさん、どちらかにたのもう!ってなったんだよね。で、村上さんにたいしては普通に愛読者、ただのファンって感じだったんだけど、ばななさんにたいしては、なんていうか同じ時を生きていて似たような感性を持ってるんじゃないかって思ってて、きっと自分の作品をわかってくれるだろうって確信があったんだ。それで帯文をお願いしたら快く引き受けてくれて、それからの付き合い。

    その頃、自分はドイツに住んでいたんだけど、一時帰国した時に初めてばななさんに会ったら、仲の良かった高校の女子同級生と再会したみたいで、自分と歳は違うんだけどすぐに打ち解けた感じ。それからは、日本に一時帰国する度に、ばななさんのとこにもおじゃまするようになって、ばななさんのなじみの焼肉屋さんや整体屋さんに一緒に行くようになってしまったし、ばななさん家ではリラックスしすぎて、ソファーでぐ〜すか寝てしまうようになってしまった。

    そうそう、ばななさんがヨーロッパに来た時、アムステルダムで待ち合わせたことがあって、一緒に観光したりした。その時もやっぱり、高校の同級生が訪ねてきたみたいに感じた。お互いの創作について語ることはないんだけど、バカ話をしていても無意識にお互いの核に触れてるみたいなんだよね。なんなんだろう、この感じ。そう、著名な人であるんだろうけど、高校の同級生なんだよな〜。自意識が確立される頃の友だち。中学でも大学でもなく、高校なんだ。

    思うに、中学から高校に進んだ最初の登校日、入学式の後の教室、そこで出会ったみんなが自己紹介した時に、あ! こいつとは友だちになれる!っていうワクワク感が初めて出会った時のばななさんにあった。ずっと読んでいた彼女の小説の中にある世界観をまとった人でもあったし、小説の中に感じるある種の繊細さを持ちながらも、くだらない話に思いっきり大声で笑ったりもするんだろうっていう安心感。だからなんだと思うけど、ばななさんの前では地のままの自分がいて、リラックスして好きなことを言ってる。

    そだね〜、ばななさんの新刊を読む度に、けっして変わらないものが根底にあるんだなって感じるし、それをまだ感じ取れる自分にも驚きつつ、まだまだ自分もやっていける!って気持ちになれる。つうか、高校の同級生のようだって書いたけど、勉強やスポーツが出来る同級生じゃないんだよね。なにかしらの弱点を持っていながらも、弱点を強さに変えてしまう感じ。弱いってことが、実は強いってことに気づかせてくれるんだ。そう、マイノリティ的な感覚を認めて更にリスペクトする感じなんだ。そういうところに読者のみんなは共感するんだろうなぁ。つうか、自分はそうなんだよね。んで、世界中にいる愛読者もきっとそうなんだと思うんだ。

    『ユリイカ』 2019年2月号
    「特集:吉本ばななー『キッチン』『TUGUMI』『デッドエンドの思い出』から「どくだみちゃんとふしばな」まで」