• Interview for METAL Magazine (Barcelona, Spain)

    Q-1. 初めての展示会の前に、初めての絵画の前に、他の全てのものよりも前に音楽がありました。奈良さんの好きな音楽とそれに対しての情熱は、誰かに影響されたものですか?それとも最初から自分の好きな音楽は本能的にわかっていましたか?

    A. 小さい頃、まだテレビも無い60年代の中頃、アメリカ軍の基地から飛んでくるラジオ放送の音楽が好きでした。大人用の日本の放送よりも、米軍放送のただただ音楽だけが流れる時間帯が好きでした。中学生になってレコード屋さんに通い始め、子供の頃に覚えた好きな曲のフレーズを口ずさんでは、そのレコードを探してもらっていました。

    Q-2. 古い写真などのセンチメンタルなものをインスピレーションの元とすることはありますか?それとも思い出やメロディーのような、形のないものの方に手を伸ばしますか?

    A. その両方です。記憶は、その情景を思い出すだけで、それに付随してくる温度や空気、その前後の出来事までも思い出させてくれて、そこから繋がるとりとめもない記憶は自分の想像力の源かもしれません。

    Q-3. 多くのアーティスト志望の人のように、奈良さんは「閃き」の瞬間がありましたね、友達に絵を褒められて、ピンと来た時。その絵は今でも持っていますか?その絵に対する気持ちは変わりましたか?

    A. 自分は元々アーティスト志望ではなく、ただ絵が人より上手かったので、普通大学よりも美術大学の方が準備が楽で簡単に入れるだろうと思って、美術大学に進みました。そこでは自分よりも上手い人がたくさんいて、みんな真剣にアーチストになろうとしていましたが、自分は劣等生で絵を描くよりもライブや映画、演劇を観ることに熱中していました。

    Q-4. 評論家達は、奈良さんの作品と幼少時代の様々な面を結びつけますが、奈良さん自身は普遍的なティーンエイジャー感情との繋がりを強調しますね。幼児時代とティーンエイジャー時代の段階に明らかな区切りがあると思いますか?もしそうならば、どこで線を引きますか?

    A. 幼児期に得た感性は普遍的だと思いますが、十代や青年期に背伸びしたりして得た感性には賞味期間がある気がします。自分自身の体験よりも書物から得たものを、まるで自分が経験したかのように思いこみ、何か大事なものを得た気になりモチベーションが上がり制作量も増えたりしますが、その表面的な影響に気付き虚脱するか、または制作を続ける事を諦めたりする人は多いと思います。自分は美術学校で劣等生だったことで、プライドも野心も持つこと無く、ただ好きなように制作することができたのだと思います。

    Q-5. 大学のために上京した時、レコードを売ってくれた男性に会い、彼は奈良さんが(「old man」)だと思い込んでいたことがわかりましたね。これは何故ですか?「old man」は特有の音楽の趣味があるのですか?

    A. 正確には、通信販売でレコードを買っていたレコード屋さんを訪ねた時、店の人は「注文していたレコードの内容から、20代の真ん中か後半くらいの年齢だと思っていたけれど、こんな若い(18歳)とは思わなかった!」です。自分が好きな音楽が、自分よりも10歳ほど年上が好むものだったんです。

    Q-6. 二ヶ国とそれらの美術教育を体験した個人として、芸術とアーティストに対する態度は日本とドイツでどのように異なりますか?

    A. 芸術云々以前に、子供の時の「自意識を持ち、自分で考えて話す」というような欧州の教育が、日本の「技術を覚える、言われたことをこなす」という教育と根本的に違うんです。アーティスト以前の問題です。

    Q-7. ドイツで美術の勉強を続ける前に、日本で教えていましたね。奈良さんはどのような先生でしたか?教える側になったことにより、どのようなものを学びましたか?

    A. 教えることで、生徒たちに尊敬され、それが過大な評価だと思いました。大学では劣等生なのに、生徒たちは自分のことを先生、あるいはアーティスト(なんかではないのに!)の先輩と信じてくれることが重荷で、それが「ちゃんと勉強しよう!」と、ドイツ留学を決意させました。

    Q-8. 仕事上とプライベート両方で多くの国へ旅していますね。サハリンへの旅は奈良さんの故郷や家族との繋がりがありましたが、これにより他の旅とは違いがありましたか?

    A. サハリンへの旅は、自分のルーツを探し、原風景に出会うための旅になりました。

    Q-9. 奈良さんはマチスを称賛しダリを批判しています。その理由は、マチスは芸術的に進化して前進を続けたが、ダリはそうしなかったから。それでは「子供のように描きたい」と願ったピカソはどうですか?

    A. ピカソは見るからに情熱的で暑苦しくて苦手です。彼の芸術は素晴らしいと思いますが、なんだか苦手です。ピカソは、なんかやり過ぎるんですね。それを世間は天才と呼んだりするのでしょうが、自分は静かに考え、実行する普通の賢人を尊敬します。

    Q-10. より「永久的」な作品を創り自分よりも長生きして欲しい、と話されたことがありますね。美術作品の寿命を決めるのは何だと思いますか? それは作品の総合価値にどう関係しますか?

    A. そこまで考えたことがありません。

    Q-11. 幾つかの定番のキャラクターが「ともだちがほしかったこいぬ」に登場しています。この本を作ろうと思ったきっかけは何ですか?この本によって、人々の奈良さんの作品の見方は変わったでしょうか?

    A. 友だち夫婦に赤ちゃんが生まれて、なにか子ども用の本を作ろうと思ったからです。本来はその「ひとり」の子どものためのものなで、作品と思われると困るなぁ~と思います。

    Q-12. 奈良さんと奈良さんの広範囲な作品についての本は沢山あります。最近Phaidonから出版されたモノグラフは今までの本とどのように異なりますか?

    A. 今までの本に比べて、自分という個人を深く掘り下げ、分析しています。読者がこの本を読むことで、作品の中から見えるものが変わってくれることを期待してしまう様な内容(テキスト)です。読者が、自分が自分の感覚と血と汗で見つけて描き上げたものたちの内面を理解することを期待してしまいます。自分以降に表れた表面的な模倣者たちとの決定的な違いが明白になる事を期待します。

    Q-13. 奈良さんが追求した様々な表現形式(絵画・ドローイング・彫刻)は一つ一つ違う意味を持っている、と以前お話ししましたが、グラフィティや詩はどうですか?

    A. 結局は、すべての表現が、外から見える自分を作っています。自分にとっては、すべてが同列で同じものであり、表現形式の違いは他者から見える自分だと思いますし、ある人達は同列に見ていると思っています。

    Q-14. 長く充実したキャリアのこの時点で、まだやり残しているものはありますか?

    A. 考えたことがないです。万が一、今自分がこの世を去るとしてもまったく悔いはありません。