• Interview for La Vanguardia (Catalonia)

    Q-1. Phaidonが出版したカタログ・レゾネ(総作品目録)、おめでとうございます。楽しく読みながら、私は「この弘前からの人はよくやった、成功したな」と思いました。奈良さんにとって、これはどういう意味がありますか?

    A. この本のテキストを書いたYeewan Koon氏は、本当にこちらが泣き出すくらい多くの質問をしてくれました。そういうインタヴューは香港や日本で数回におよびました。彼女はまた、僕自身が育った北国の町を訪ね、そこにある独特な地方文化にも触れたり、自分が最近通い続けている北国の小さなコミュニティも訪ねて、そこの人々にもインタヴューしたりしました。そのような多くのリサーチ、インタヴューから導き出されたのは、自分の感性がどのようにして出来上がったのだろう?という問いへの明確な答えでした。読者にとってこの本がどんな意味があるのかはわかりません。ある人は図版を観ながら熱心にテキストを反復して読むでしょうし、この立派な装丁の本は本棚の良い飾りになるかもしれません。どのようなリアクションがあるとしても、自分にとっては「自分の感性がどのようにして作られて行ったのか」「どのように作品は進化していったのか」ということをKoon氏のテキストによって目を開かされた気分です。

    Q-2. 私の意見では、奈良さんはベラスケス、ゴッホやウォーホルと同じ伝統の肖像画家です。バカと呼ばれても結構ですし、もしかしてこの様な考えはヨーロッパ中心主義かもしれませんが、あなたの作品(の一部)に対しての私の捉え方です。奈良さんはこの伝統の肖像画家という気持ちはありますか?

    A. それは考えたことがなかったです!ただ、いつも自分の内なる自画像を描こうとしていたと思います。近代の作家にたとえるなら、ジャコメッティが哲学的に行った作業を、自分は感性のおもむくままに行っているのかもしれません。

    Q-3. 先日、リタ・カベルートというスペインの結構有名なアーティストと話しました。彼女はオランダに住んで、働いています。彼女は恐れている事について話してくれました。例えば、成功や自惚れること、謙虚のままで良い、感動的な作品を創り続けること。奈良さんはどの様に成功に対応していますか?制作に関しての恐れはどのようなものですか?(もしあるならば?)

    A. 自分は成りたくてアーティストになったわけではありません。アーティスト志望の若者がよくやるような作品資料を抱えてギャラリーのドアをノックしたことも無いし、学生時代を振り返ってみても、この自由な生活がいつまでも続けばいいなと考えて日々を過ごしていたモラトリアムでした。学内展示を観に来たギャラリストに展覧会のオファーを受けて、発表するうちにいろんな国で展示するようになりました。いつの間にか周りからは「アーティスト」と呼ばれるようになりました。アートでカテゴライズしている人達とは深く付き合いません。今でもよく話し笑い合うのは無名時代からの友だちです。それは昨日会った映画スターでもないし、有名なミュージシャンでもありません。90代にドイツの日本食レストランでアルバイトしていた頃に知り合った、他の日本食レストランで働いていた美術とは無縁の日本の北国出身の人達と、今は帰国した彼女たちの故郷を訪ねて会ったりします。また、インディーズのミュージシャンたちと仲良くしています。自分は決して謙虚な人間ではなく、彼らと会うと相変わらず騒いで楽しんでいます。アート関係の友人は少ないと思うし、セレブに会う機会はあっても、写真を撮ってSNSにあげようとは思いません。また自分の生きる目的が、制作すること、発表することではないということにも気づき始めました。数年前に、今はロシア領になっているサハリンに、日本領だった当時に母方の祖父が働いていた炭鉱を訪ねたことがあります。資源大国のロシアにあって、廃坑になって久しいその廃墟に足を踏み入れた時、まさにその瞬間のために今まで生きてきた気がして驚きました。美術学校に行ったり、作家としていろんなところで展覧会をしたり、そういうことがすべてこの廃墟と出会うための回り道に感じました。

    Q-4. 数年前は、絵画はわりと速く完成させていましたよね?今では、もっと時間をかけていると思いますが、そうですか?それはいかがですか?これは本能と思考の間の争いですか?

    A. 90年代あたりは吐き出すように日々制作していましたが、2010年を過ぎて、11年に東日本大震災を経験してからは、制作していくことよりも、アートシーンを離れて日常を楽しむこと、旅に出ること、地方の小さなコミュニティを訪ねることが重要になりました。その頃から制作のペースはとてもゆっくりになって、制作量は減りました。また展示するギャラリーの数も減らして、現在は2ギャラリーだけにしました。描こうとする意志だけに従うようにしています。

    Q-5. どの様にして、特定の絵のための色を選びますか?色彩の使い方とのその進化は奈良さんを定義するものですか?

    A. いろいろと身の回りにあるもの、目に映るものが最近は色を決めている気がしています。冬が去ってやってくる春特有の曖昧な自然の色合いや、夏の激しい日差しと激しいスコール、秋には紅葉する木々の葉だったり、いろいろと身の回りのものが色感に影響を与えています。ちなみに一番好きな色は、白で、それは雪国で育ったからかもしれませんが、降り積もった白い雪の下にいろんなものや色が隠れているのを想像したり、実際に見えないものを感じる力を与えてくれたのは子供時代に窓の外に広がる雪景色を飽きもせずに見ていたからかもしれません。

    Q-6. ここしばらくの間、まあ20年と言いましょう、多くの人を引き付けて動かした女性解放運動が世界中で見られましたね。例えば、プシー・ライオット、フェメン、もちろん#MeToなどなど。奈良さんの「頭デッカチの女の子」の絵のことを考えると、ある意味ではフェミニズムのマニフェストに思えます。これは全くあなたの意図ではないかもしれませんが、奈良さんはそのように見えますか?

    A. そうですね。たとえばグレタ・トゥーンベリさんが表れた時には、今までまだ会うことのなかったこの人を自分は描き続けていたのか?と思いました。

    Q-7. 生死問わずに、会いたいと思うアーティスト、ミュージシャン、映画監督はいますか?一緒にコーヒーを飲みに行く、それとも、なんだろう、ビール何本か、それともライブに行くとかするなら?

    A. たとえば尊敬するNeil Youngのようなミュージシャンは、会わないでステージの下から観ている方がよいです。会いたいのは、記憶のずっと奥の方にいる人たちです。小さい頃に親切に接してくれた近所のお姉さんや、旅の途中で出会った名も知らない若者や、タイムマシンがあるならもう一度会いたいと熱く思います。それは決して人だけではなく、子供の頃に見た風景だったりもします。

    Q-8. 音楽はいつもあなたの制作の火を炎上させるガソリンみたいですが、その作品が完成したとき、音楽は残っていますか?それとも、鑑賞者が自分のサントラを与えるまで、静かに待っているものですか?

    A. 制作することに没頭していると、レコードやCDが終わってスタジオの中が静かになっていることに気づかない時があります。制作することにおいて音楽はひとつの起爆剤であって、ずっと残り続けるものではない気がします。制作を離れた時に聞こえてくるのが、自分が本来好きな音楽であるのだと思います。

    Q-9. 今日、この質問を用意しているときに、私はThe Public Opinion Afro OrchestraやMystery Jetsの音楽を聴いていました。奈良さんの最近気になる音楽は?

    A. 今日聴いていたのは、Btter Oblivion Communty CenterやHurray For The Riff Raff、それとCamper Van Beethovenなんかです。(スペインの80年代のニューウェイブバンドRadio Futura、好きでした!)

    Q-10. しばらく前に東北と福島のあたりに行きましたが、未だに津波に負わされた人々の心の傷と風景へのダメージが見られました。これはあなたをどの様に変えましたか?人間として、アーティストとして?

    A. 東日本大震災を経験した2011年は、今までないがしろにしていた故郷や地方の歴史に目を向けさせてくれました。自分は福島の原発から100kmの所に住んでいます。現在の住み家と生まれ故郷である本州の北端までの海岸線は大きな津波の被害を受けました。しばらくは制作する気もおこらず、震災をテーマに積極的に制作するアーティストたちを横目で眺めては悲しい気持ちになっていました。僕は生まれ故郷へ戻り、一人暮らしの母と被災地に送れるものを物置から選び出して、それを満杯に搭載した車で被災地まで届けました。今まで、気にもしていなかったアートシーンとは無縁の地方や自分自身の故郷がとてつもなく愛おしくなったのです。それからは、母に自分の生い立ちや先祖のことを聞き、母方の祖父が日本統治時代に働いていたというサハリンも訪ねることになります。また、日露どちらか曖昧であったサハリンで、時代に翻弄された少数民族に出会い、それが、古くはオランダ、そして清国、日本に統治された南の島「台湾」を訪れ、山岳地帯を巡りそこに住む先住民に会うことに繋がっていきます。近代の画家ポール・ゴーギャンが作品タイトルに引用した「自分はどこから来たのか?どうして存在するのか?どこへ行こうとしているのか?」(トーマス・カーライル『衣服哲学』)という言葉のように、自分にとっての最も新しい目覚めは、足元を見て自分を作った事象を探し求める旅のような気がしています。それが自分を再び生まれ変わらせることになるのだと思います。

    Q-11. (もう一球ボールをもらえるかな?)もし宜しければ教えて下さい。奈良さんは外出自粛していますか?それはいかがですか?

    A. 僕が住んでいるところは近くに山が見える高原の牧草地帯です。日常的に近くの森や山には行きますが、人の多い街へはほとんど行きませんので、普段から外出はしていません。何かの用事で東京などへ行くことはありますが、望んで行くわけではないので最近の外出自粛は町へ行かなくてもよいことを正当化してくれるので気持ちがよいです。ただ、故郷に住む母の88歳(日本では88歳はとてもめでたい歳と言われています)の誕生日会に行けないのが悲しいです。