• Interview for 『一条』from China


    Q-1.
    まずは近況についてお伺いしたいです。奈良さんは今どこで、どのような環境で暮らしているのでしょうか?最近はどんな作品に取り組んでいらっしゃいますか?普段はどのように作品制作のスケジュールを組んでいらっしゃいますか? 創作活動以外で、最近気になっていること(社会的な事柄でも、身近に起きていることでも)があれば、教えていただけますか?

    A. 創作活動=作家としての自分は、自分の中の部分です。日々、好きなこと(本を読む、映画を観る、旅をする)をしながら、気が向いた時に制作します。若い頃は旅に出たり本を買ったり映画を観るお金が無かったので制作ばかりしていました。そのおかげでたくさんの作品が生まれ、それが自分を世に出してくれました。よく考えると、学生時代からアルバイトでお金を貯めては旅に出たり、音楽や映画に散財していました。絵を描くのは最初からあった目的では無く、旅や読書などの後にあったものでした。日本での学生時代、映画やレコードにお金を使った後にお金が残っていれば画材を買いましたが、最初に買うことはありませんでした。このような質問を受ける時に思うのは、質問者が自分のことを作家以外の選択肢を持っていないことです。美術の世界は開かれているようで実はとても狭い世界です。アトリエの外にはもっと大きな世界が広がっていて、人々はそこに暮らしています。その世界で美術が人々の生活に占める割合は少ないはずです。美術以外のことをたくさん語れる作家は多くはありません。そういう意味で自分は美術世界の外にいる人々と関わり生きていたいと思っています。

    Q-2. 新刊についての質問です。昨年末に『奈良美智:始于空无一物的世界』が出版され、中国で大きな反響を呼んでいます。この本は、奈良さんの「半生伝」的な内容で、日本語版の翻訳ではなく、中国の読者に向けてつくられた本です。中国の読者向けに本を出されることになった経緯について教えていただけますか?

    A. 自分の作品は誰が見てもわかるもので、表面だけを見て楽しむ人や、作者以上に深く作品と対話する人など多種多様なリアクションをもたらします。中国に限らず「自分のような絵」ではなく「自分の絵=自分のこと」を理解して欲しいのです。

    Q-3. 本を読んで特に印象に残ったのは、奈良さんが言及されている多くの文学作品や音楽です。それらの影響が、絵画作品の中でどのように表現されているのか、いくつかの例を挙げて説明していただけますか? また、ニール・ヤングや宮沢賢治など、奈良さんの好きなさまざまなアーティストや作品に、何か共通点はありますか?最近よく聴いている音楽、読んでいる本についても教えてください。

    A. 宮沢賢治は文学者として東京では成功せず、故郷に戻り小さなコミュニティの中で暮らし創作しました。彼の作品が認められたのは彼の死後です。そして、その作品は故郷に戻り暮らす中で生まれたものです。地位や名誉を諦めた場所が、自由な創作をもたらしたのです。

    Q-4. ドキュメンタリー『奈良美智と旅の記録』の中で、奈良さんは創作のインスピレーションについて「子供の時はなにも思いつかなくて、大人になってから、子供の時の自分のことを考えることで、いっぱい思いついたことがある」と語っています。奈良さんの作品には常に、ご自身の子供時代のこと、過去のことが大きく投影されていますか?そうだとしたら、過去に対して強い思いを持つ理由は何なのでしょうか?上記のドキュメンタリーが公開されたのは2007年ですが、子供時代の記憶がインスピレーションになっていることは今も変わりませんか? 未来に向けて絵を描きたいと思ったことはありますか?例えばSF、メタバースのような世界には興味はありますか?

    A. そうですね。子供の頃の記憶を確かめるように旅に出たりしています。記憶から絵を描くよりも、記憶を追体験するような旅が今は一番したいことです。

    Q-5. 2000年にドイツから帰国して以降の作品は、穏やかな空気感を湛えているように見えます。居住地がドイツから日本に変わったことの環境の変化は、作品にも影響を与えましたか?

    A. どちらかと言うとそれは2011年の東日本大震災以降からだと自覚しています。

    Q-6.《Cosmic Eyes》(YNF4452)の瞳に見られる多彩な色彩は鑑賞者に強い印象を与えます。瞳の中に宇宙を描き込むような作風は、どのようにして生まれたのでしょうか?この瞳に何か特別な意図、意味は含まれていますか?

    A. 2000年代の前半頃になんとなく始まりました・・・

    Q-7. 本の中のインタビューで「好きな画家はみんな自分自身と対峙した人。他人の目を気にして描くような人じゃない」とおっしゃっています。奈良さんは成長の過程で他人に否定されたことはありますか?それをどうやって乗り越えたのでしょうか?新作をつくりたいのに、なかなか描き始められなかったり、展覧会などのための制作の締め切りに追われて悩んだりしたことはありますか?

    A. 学生時代の自分は優等生ではなかったので、意識の高い学生たちからは否定されるのではなく無視されている感じでした。もともと人と比べたらずっと下だと思ってたのでプライドも無く、好きなものだけを描いていました。また、制作を締め切りのあるような仕事として考えてないので、締め切りで悩むことはありません。展覧会の数を減らせばいいだけです。

    Q-8.『半生』で「東日本大震災」について書かれていたことが、とても印象深いです。その後、奈良さんは愛知県立芸大に戻り粘土で作品を作り始めました。それはご自身が震災を乗り越えるための癒しにもなったのでしょうか?巨大な彫刻作品を作り始めたのは、ご自身の心が強くなっていった証でもあるのでしょうか?

    A. ほとんど動物のように本能で行動していたと思います。自分はいつも弱くも強くもなく本能で生きていると思います。考えることが負担な時は考えない、美術と何かを結びつけることをせずに生きることは、作家以前の人としての生き方を高めてくれると思います。

    Q-9. コロナ禍の約2年半で、奈良さんの創作や生活は変わりましたか?いわゆる「ポストコロナ時代」をどう過ごしていくかを考えたことありますか?それを作品に投影して表現する可能性はありますか?

    A. あんまり考えたことはありません。

    Q-10. LACMAに続き、上海での展覧会は37年間の間に制作された合計800点の作品が展示されていると聞いています。何がきっかけで、上海で中国初の展覧会を開催することになりましたか?展示する作品はどのように選ばれていますか?今後、いくつの都市を巡回する予定でしょうか?奈良さんにとって、この巡回展は、どのような意味があり、どのような位置付けとなっていますか? 

    A. 上海の美術館からオファーを受けた時、その美術館のオーナーを古くから知っていてとても良い印象を持っていたからです。自分にとって友だちのような人と仕事をするのは気持ちの良いことです。

    Q-11. 奈良さんはご自身の手稿やプライベートでコレクションしているレコードや本なども展示しています。このような展示はいつから始めたのでしょう?これらを展示することについての思いをお聞かせください。

    A. 自分のバックグラウンドを知って欲しいからです。作品よりも生まれる背景や、自分という個人を知って欲しいからです。自分、それは作品よりも大切でかけがえのないものだからです。

    Q-12.《My Drawing Room》(YNF5043)について。自分のアトリエを展示するアイデアはA to Zの時から始まりましたか?もっと前からですか?小さなお家が好きなのは、やはり子供時代の記憶が関係しているのでしょうか?本のインタビューでは「ちいさいおうち」(バージニア・リー・バートン著)について言及されていますが、他にも何か関係するものはありますか?

    A. 80年代から自分の部屋の壁を再現するような展示をしていました。2001年の横浜美術館での個展で初めて部屋を作りました。

    Q-13. 上海の展覧会会場には「彫刻公園」という名の、奈良さんの立体作品を展示する場もあります。立体作品をつくる時と絵画を描く時に、心境的な違いはありますか。今後はどんな彫刻作品を作りたいと思っていますか?

    A. 簡単に手の中で出来たような小さなものを拡大して大きくしてみたいです・・・というかもうやり始めていますが。

    Q-14. 奈良さんは写真作品も数多くあります。一般的にアートのヒエラルキーの中では写真は絵画より下に見られてしまうことが多いのですが、このことについて何かお考えはありますか?

    A. あんまり考えたことはありません。高性能のカメラや加工技術で誰でもクオリティの高い写真が撮れるので、上手さには興味はありませんが、撮る人の視点やドキュメンタリー性に惹かれます。

    Q-15. 本に収録されている写真作品は旅先で撮影されたものが多いですが、奈良さんにとって一番忘れ難い旅はいつの旅でしょうか?旅で撮った写真の中で最も印象深いものは、どこで撮った写真でしょうか?また中国を旅したいと思いますか?中国で一番行きたいのは中国のどのあたりですか?

    A. ひとり旅はいつでも魅力的で、自分の本質に気付かせてくれます。中国では田舎を旅したいです。

    Q-16. 本の中で、奈良さんは木が好きだとおっしゃっています。SNSに投稿されている写真は、馬、羊、猫などの動物も多いです。今の生活、創作活動は、自然とどう関わっていますか? 栃木県にある奈良さんのスタジオの写真は、中国でも大きな話題となり、特に窓際に奈良さんが座って外を見ている写真は、一時的にWeiboのトレンドにランクインしました。あの窓から見る四季、景色についてお話いただけますか?

    A. 制作することよりも、ただ普通に生活していたいです。制作は、その中で気が向いた時、本当に描きたい時にすれば良いと思っています。

    Q-17. 奈良さんの作品に多くの人々が惹かれるのは、そこに言語や人種を超えた普遍的な精神性が宿っているからだと思いますが、奈良さんご自身はどう捉えていらっしゃいますか?また、孤独が好きだと語られていますが、奈良さんは世界的にポピュラーな方でもあります。有名になったことはご自身の生き方や創作にプレシャーをもたらしましたか?あるいは、よりモチベーションを高めることになりましたか?

    A. 有名になったことは、逆に本当に分かり合える人々を明確にしてくれたと思います。また「絵を描き制作する」という遠回りをして、本当にやりたいことが見えてきたと思っています。それは作家としての自分ではなく、ただの個としての自分です。画家である部分は、自分の中ではもう大きな位置を占めてはいません。

    Q-18.「すべては遠回りの人生だとは思うけれど、それがリアリティあるんだよなぁ、きっと」という、序文にあるこの言葉がとても好きです。これまでの人生で、一番遠回りした経験は何でしょうか? 若い頃、結婚しなければならないとか、もっとお金を稼がなければならないとか、子供を産まなければならないとか、こういった俗世的な悩みを抱えたことありますか?

    A. いつも目の前のことしか考えてなかったです。

    Q-19. 放任主義の元で育てられたと「半生」で書かれていますが、奈良さんはとても心が豊かな大人に成長されました。改めて振り返ってみて、両親から与えられた最も大切なものは何だと思いますか?もし奈良さんが子育てをしたら、あるいは教師になりましたら、子供にどんな教育をしたいですか?

    A. 自分の幼年時代は日本の高度経済成長時代と重なっています。親と過ごす時間が無く、ひとりでいる時間が「自分と対話して、考えること」をおしえてくれたと思います。以前、大手新聞の連載で、たとえば大リーグのイチロー選手の父親がどのようにイチローを育てたか、のような「天才の作り方」(だったか?)というコラムのインタヴューのオファーがありました。母は「何もしていないから」と言って断りました。自分が未来を担う子供たちに望むことは「自分で考え、自分の意志を持ち、みんなと話し合い、遊び、学ぶ」子供たちかな?

    Q-20. 干支・十干の組み合わせが60年で一巡することから「還暦」は人生の大切な節目だと中国では言われています。60歳以降の人生は、それまでと違う感覚はありますか?また、これから達成したいことや目標がありましたら、おしえてください。

    A. 身近に顔を合わせる人々の中で暮らし、ただただ自由に生きていたいです。