• Interview for The Guardian (London)

    Q-1. 子供時代は一人で過ごすことが多く、音楽に没頭なさったと伺っています。今、あなたの作品は多くの人々に届けられています。人とつながることは、アーティストとしてのあなたの原動力なのでしょうか。

    A. 子供の頃、窓の外に見えるのは丘陵地帯に広がるリンゴ畑でした。農村地帯で暮らしながらも米軍三沢基地があったためラジオ(Far East Network = a radio broadcast service the U.S.military in Japan)でいつも音楽番組を聴いていました。1960年代の話です。遠い国の外国語の音楽を聴くのが好きで、自然にリズムを取ったり、窓の外の空に流れる雲を見たりしながらいろんな空想をしたりしていました。自分はどちらかと言えば「受け手」であり「発信者」ではありません。人々に届けるという意識ではなく、共有したいという気持ちが大きいのです。


    Q-2.
    あなたの作品には一貫するモチーフがありますが、出発点は毎回異なり、それは映画や音楽などを観る、聴くことによって生まれる感情だとおっしゃっていました。では、今回の
    展示作品の出発点について教えてください。青とピンクの中にオレンジ色の人物が描かれた「On the Pink Cloud」や「Or Glory」や「STOP THE BOMBS」についてお話しいただければと思います。

     A.
    「On the Pink Cloud」
    雲の上にいる天使のような存在意志を描こうとしました。ポイントになる色として手に緑の双葉を持たせようとしましたが、あまりにも分かり易すくなるので止めました。どちらかというとメローな現実感のない絵にしたかったです。

    「Or Glory」
    The Clashの歌「Death or Glory」が脳裏にありました。反体制の意志表明の強さを、死を恐れない戦士の勇敢さのモットーにかけています。

     「STOP THE BOMBS」
    映画Dr. Strangelove or: How I Learned to Stop Worrying and Love the Bomb(1964)ではなく1968年のTreaty on the Non-Proliferation of Nuclear Weaponsと同年Coventry Cathedralの庭でJohn LennonとYoko Onoが行った2個のドングリを庭の東と西に植えたパフォーマンスにインスパイアされています。STOP THE BOMBS!!PEACE IN ’68という2016年に描いたドローイングがあり、それをもとに木製パネルに描きました。
     

    Q-3. 何点かの作品は小屋の中に展示されています。観客には、小屋に入ってどのような感情を持ってもらいたいですか。それとも作品が住む場所を作るのが目的ですか。このようなスペースはあなたにとってどんな意味があるのでしょうか。その雰囲気、ツリーハウスのようなDIYスタイル、たまり場や隠れ家でしょうか、それとも舞台でしょうか。

     A. いわゆる美術館のように建築的にしっかりとした空間には、昔から少なからず違和感がありました。小屋のような仮設感のある場所に親近感を覚えます。それは町々を巡業するサーカス小屋にも感じます。とは言え、今回の小屋の建築的な空間は多数の窓の配置と歩く床の段差の違いなどで、鑑賞者に遊び心があれば「作品」が無くてもある程度の面白さを発見できるでしょう。

     
    Q-4. 同じモチーフを何年にもわたって使い続けることの難しさは何ですか。どのようにして創造的な進化が止まらないようにしておられますか。

    A. あまり考えたことはありませんが、確かに、おぼろげにではあるけれど難しいことだと感じることが加齢と共に多くなりました。でも、その「難しさ」で「芸術」と皮一つで繋がっているのだと思います。最近、自作に似た若い作家が多く台頭してきていると言われました。しかし、彼らの作品をみていると、似ているのは表面だけであり、育った場所や歴史観、人生観も違います。自分の作品を掘り下げていくと子供時代にまで遡ることができます。それはポップカルチャーというよりももっと個人的な身の回り数百メートル以内の出来事です。リンゴ畑、羊、馬、部屋で読む本、電波に乗ってやってくる異国の音楽。(テレビはあまり観ませんでした。本は絵本や童話が主で漫画よりは絵本が好きでした。)

     
    Q-5. あなたの作品は、親密で個人的でありながら、かつ人類全般の問題について語るような普遍性も備えています。ここ数年のコロナ禍、気候危機、それに関する不安感などはあなたの作品に影響を与えましたか。もしそうなのであれば、どのように影響を与えましたか。例えば、新しい作品には、ピースサインやデモ参加者が描かれているものが多いですが。

    A. 兄たちが学生運動の世代であったため平和運動や環境問題には興味があり敏感に反応していました。またベトナム戦争は、日本の米軍基地から米軍が出征していくため身近に感じていました。公民権運動からのプロテストソング、反戦運動からのロックが自分を育ててくれたと思っています。全てをぶち壊せ!というパンクロックよりはコミュニティや自然(Back to Nature)創造活動(Living is not breathing but doing. 共にJean-Jacques Rousseauの言葉)を大切にするヒッピーカルチャーの影響が大きかったです。ただ頭でっかちになっていた17歳の自分がパンクと出会ったことは、頭で考えるのではなく体で感じる!ということに目覚めさせてくれたことも確かです。ここ数年の気候変動に代表される環境問題よりも2011年に日本の東北部を襲った大きな地震による津波災害が自分の制作に大きな変化を与えました。現在自分の住むところ(東京から北に約200㎞)から生まれ故郷の町までのおおよそ650㎞に及ぶ15000人の死者を出した沿岸被害です。それは自分が育った日本の東北という場所の、地理的なことだけではなく歴史的な位置づけをより深く知ることにも繋がりました。うまく言えませんが日本の東北地方はイギリスにおけるスコットランドのような位置づけに似ていると思います。それはともかく、パンデミック以前に大きな喪失感を感じていたので、精神的にはとても冷静にパンデミックに対処していたと思います。

     

    Q-6. 最後に、今、どんな音楽からインスピレーションを貰っていますか。

    A. インスピレーションかどうかはわかりませんが、2011年の震災以降は60年代の音楽を聴くことが多くなりました。今スピーカーからはNICOが歌うThese Daysが流れています。1967年のChelsea Girlというアルバムに収録されているJackson Browneが作った曲です。新しいミュージシャンでも彼らの親世代が聴いていた60~70年頃の音楽から影響を受けた人たちの曲が好きです。