• Interview for The West Australian Sunday Times Magazine

    Q-1. あなたが音楽をこよなく愛していると聞いていますが、アーティストではなくミュージシャンになることを考えたことはありますか?

    A. 多くの少年が憧れるような感じでは考えたことはありますし、実際に20代の中ごろにはバンドを組んでいたこともありました。しかし、プロのように際限なく曲を作る自信も、その苦しみに耐える意思も持ち合わせてはいませんでした。それに対して、美術はどんなに悩み苦しむともしてもずっとやり続けることができるという根拠のない自信がありました。

    Q-2. あなたの中にあるヒーローの 1 人になれる日があるとしたら、何になりますか?

    A. 自分にとってすべてのヒーローは彼らでなければ意味がありません。したがって、自分は何にもならず、自分として生きることを誠実に続けるだけです。

    Q-3. あなたが最初に購入した英語のシングルはビージーズのマサチューセッツだったというのは本当ですか?

    A. はい。ラジオから流れていたメロディを覚えてレコード屋さんに行き、見つけてもらいました。

    Q-4. 「頭の大きいな女の子」の驚異的な魅力をどのように説明しますか?

    A. 自分では考えたことがありません。ドイツにいてそういう作品を発表し始めた頃に、キンダーシェーマと関連つけられて論じられたことがありましたが、多分そのようなことと関係あると思います。文化も言葉も違う異国で自分自身が子供に戻ったのかもしれません。どちらにしても、日本から出たことで生まれた表現でしょう。

    Q-5. 作品の多くが自伝的であるということに同感しますか?

    A. はい。ついさっきまでの自分から生まれています。

    Q-6. 自身の展覧会に対する批評家のレビューを読みますか?

    A. ほとんどは表面的、あるいはアップデートされていない過去の情報からの見方で書かれているのでさらっとしか読みません。しかし、時々核心に迫っていたり、予期せぬ角度からの考察に出会うと嬉しくなり、彼らの住むところまで出かけて行き、ドアをノックして握手したくなることもあります。

    Q-7. あなたは日本で最も売れている現代アーティストとして位置付けされています。あなたはそのことを、また自身の作品や一般的な芸術作品を価値の観点からみると、どう捉えますか?

    A. 実感が無いのでわかりません。他人の話に思えます。

    Q-8. 世界中を広範囲で旅されているようですが、それは作品にどのような影響を与えていますか?

    A. 作品制作というよりも人間としての自分を育ててくれるように感じます。経験や知識を得ることが人としての社会との関わり方や、明日を見つめる視点を定めてくれるように思います。

    Q-9. いつでも好奇心旺盛ですか?

    A. 興味のあることに対してはそうですが、そうでないものに対してはまったく動きません。

    Q-10. あなたの作品には様々な素材が使用されています。素材を選択してから、作品を制作しますか? それとも、構想の後素材を選びますか?

    A. 側にある素材を優先して使います。自分にはいくつか木彫の作品がありますが、すべて木をもらったから作ったものです。必要に迫られて木を買ったことはありません。つまり、ほんとうに木を使って彫刻をしたいわけではなかった、ということになるのですが、作り始めると段々と没頭して止まらなくなり、脇目もふらず寝食を忘れるように一生懸命に作業してしまうのです。それは美術だけではなく、たまたま手にした小説を読み始めると、その日のうちに最後のページに辿り着かければならくなるのです。

    Q-11. 歳を重ねるにつれ、作品はどのように変化していますか?

    A. もっと良く!というような向上心が良い意味で薄くなり、かなりリラックスして自分の内面を出していけるようになっていきました。直情的なものではなく、じっくりと観ていられるような表現が多くなりました。

    Q-12. 展覧会のために西オーストラリアのパースに来られますか?

    A. もちろん!場所は離れていますがBroomeのように古くから日本と関係のある場所もあります。今回は無理でもいつか日本人墓地を訪れてみたいと思います。とにかく、とても楽しみです。

    Q-13. 60 代にはいりましたが、いまだにチョコレートが大好きですか?

    A. 今日も2枚食べました。

    Q-14. アーティストになろうと思ったきっかけは何ですか?

    A. 子供の頃から絵は上手かったので、それほど学科を勉強しなくても入れそうな美術学校に行こうと思いました。作家になるというよりもそういう学校には自由に生きる人々が集いそうだったし、親元を離れてただただ学生生活をしたかったのです。しかし実際に入学してみると強い意志を持った才能あふれた人が全国から集まっていて、自分がゴミくずのように感じられました。作家になるなんて望むこともありませんでした。
    しかし、在学中に高校生に美術を教えるバイトを始め、彼らから慕われ始めると「もっと真剣に創作に向き合おう!」と思い始めました。それでドイツへ留学することにしたのです。その後、学内展示を観に来たギャラリストから展覧会の誘いを受けました。そして、いつの間にかアーチストと呼ばれるようになっていました。

    Q-15. 「頭の大きいな女の子」というキャラクターはどのようにして生まれましたか?

    A. 意識することなく自然にポロっと出てきました。ホントです。

    Q-16.  あなたの成功はどのようなフリーダムをもたらしましたか?

    A. 年を追うごとに不自由になって行ってる気がします・・・。ひとり旅をして自分という作家を知らない街を歩いている時、あるいは自分の好きなバンドのライブ会場でそのような仲間たちと一緒に興奮している時が好きです。また先入観を持たない子供たちと接している時も好きです。人からは成功に見えても、それを目標にしてきたわけではないので、その「成功」は自分を不自由にするだけです。

    Q-17. もっている信仰はありますか?

    A. 祖父も父も日本古来の宗教である神道の神主でした。2人の年上の兄は父が神官を務める社務所で産まれました。しかし、何を思ったか父は神主を辞めて社務所を出て公務員になります。母と父と2人の息子は小さな借家を町に借りて、以前に比べると貧乏な暮らしを始めます。その頃に自分はこの世に産まれました。家には大きな神棚があり、宗教的な習慣は神道によるものでしたが厳格ではありませんでした。自分は哲学的な見地で仏教に興味を持ち、また宗教美術という分野ではキリスト教に興味を持ち学びました。また、アイルランドを旅した時に感じたケルト的な宗教観に親しみを覚えたりもしました。しかし、信じている具体的な宗教はありません。

    Q-18. あなたは、歴史を通して受け継がれてきた文化に強い関心を持っていると聞きました。オーストラリアの先住民、または原住民族について知っていますか?

     A. お隣のニュージーランドのマオリ族の方々とは、自分が関係している日本の先住民、アイヌとの交流を通じて何度か会ってハカや歌を演じてもらいました。また、台湾に暮らす複数の部族の村を訪ねたりもしています。オーストラリアの先住民文化については過去にいくつかの展覧会を観たり、書物で接したくらいですが興味はとてもあります。