• Interview for Wall Street Journal Magazine

    Q-1. この一年程に渡って、LACMAの回顧展、来るDallas Contemporaryの展覧会、そしてPhaidonによる本の出版などありまして、米国でより大きな活動の時期に入りましたね。この米国のプロジェクトの急増を引き起こしたのは何ですか?

    A. 自分ではよく考えたことはありませんが、ちょっと冷静になって分析してみましょう・・・。ちょうど10年前にNYのアジアソサエティで開催されたNYで初めてのミュージアムショウで最多入場者を記録するなど好意的な受け取られ方があり、その3年後から始まる老舗大手のPACEギャラリーでのコンスタントな発表がありました。またここ数年の中華圏での人気が定着した感があります。自分の作品が初めてアメリカの地に降り立ったのは1995年、カリフォルニアでした。それから25年の歳月をかけてLACMAでの回顧展にたどり着くとは、当時オープンしたばかりのBlum and Poeギャラリーでの初の日本人作家の展示を観た人の誰もが想像しえなかったでしょう。

    Q-2. Dallas Contemporary展の多くの作品は、この展覧会のために特別に制作されましたね。これらの作品はどのようなものでしょうか?

    A. いえ、新作もありますが回顧展的な要素が強い展示になります。LACMAがフォーマルな展示構成になっているのに対してDallasではポップ、あるいはストリート的な要素を多くして軽やかな展示構成にする予定です。その中で少し変化をつけるために、大きな重々しいブロンズ像や、段ボールに落書きのように軽やかに描かれたモノトーンの絵画などを制作しました。

    Q-3. これらの作品で、どのような考えや気持ちを表現したいと思っていましたか?

    A. よい言葉が思いつきませんが、シリアスにならず楽に物事を感じ考えるような、今このコロナ禍にあって無くしてはいけない気持ちを持って制作していました。と言っても、自分は楽観主義者ではありません。深いネガティブさを、自分という鏡に反射させて深みのある軽さに昇華させたいのだと思います。

    Q-4. 多くの作品は音楽と繋がっていますね。貴方の音楽との関係、そして音楽が作品へ及ばす影響についてお話ください。 現在、特に注目している点ですか?なぜこの展覧会の多くの作品は音楽に関連しているのでしょうか?

    A. 「尊敬する、あるいは影響を受けたアーティストは?」という質問を美術関係者から受けることがよくあります。そのたびに自分は「たとえばNeil Youngです」と答えています。すると質問者は少し怪訝な顔をしますが、実際に自分の生活の中で大きく自分と関わってくるのは、いわゆる美術ではなく、音楽や文学、映画や自然です。僕は「音楽好きな画家」ではなく「絵も描ける音楽好き」なんです。

    Q-5. 「Through the Break in the Rain」などの大規模キャンバスでは、とても絵画的なテクニックを使用していますね。しかし、この展覧会の作品チェックリストの多くは色鉛筆、あるいは色鉛筆とアクリルを段ボールに使った小規模の作品みたいです。このような作品へのアプローチはどのようなものですか?大規模の作品へのアプローチとどう異なりますか?

    A. Q2で答えたように、日常の中で大衆にすんなり受け入れられるような肩ひじの張らない、オーディエンスへのアプローチです。それでいて、自分の核にある自由でいようとすること、鑑賞者には媚びないことを試しているのかもしれません。

    Q-6. 色鉛筆と段ボールの何がこの展覧会に適する素材とするのでしょうか?この素材は、作品で表現したいこととどう繋がりますか?

    A. 元々、自分はキャンバスに描いて表現する、人々に見せる、という意識は希薄でした。どちらかというと紙や板などの素材に、個人的な日記のように描く落書きのようなドローングこそが自分自身なのだと思っています。それらは、音楽に置き換えて言えば、レコーディングが行われる前のラフなミックスであり、不完全の中に一番大切なものだけが光っている状態です。あるいは、磨かれる前の原石のような状態とも言えるでしょう。時として、そのようなデモ音源はオーケストラをバックにつけたり、ハイテクを酷使したミックスよりも心に響くかもしれません。

    Q-7. この展覧会の一部である、最近のブロンズ作品についてお話しを聞かせてください。これらの作品はどのような背景で制作されたものですか?どのようなテーマを探っているのでしょうか?

    A. 2011年に日本では東日本大震災があり、自分が現在住んでいる地域から生まれ育った地域までを結ぶ600キロ以上が被災しました。津波が町や自然を破壊していく映像を記憶している人はアメリカでも多いと思います。あの災害の後、自分は制作意欲が消えていき、作家としての自分の存在を肯定できなくなっていきました。その中で、リハビリのように粘土の塊に向かい、道具を使うことなく自分の両手のみで大きな頭部を作り始めました。そして手の跡が生々しく残る塑像作品はブロンズという半永久的な強さを持つ金属に置き換えられました。以前に多用していたファイバーグラスを使ったスムースな表面を持つ立体作品群に比べて、ブロンズ像たちはどこかドンくさく、時代遅れの田舎者に見えましたが、自分はそこに自分の足で立ち上がるようなリアリティを感じました。

    Q-8. 展覧会のチェックリストを全体的に見ると、貴方は創作人生のどの地点にいると言えるでしょうか?

    A. わかりません・・・正直に言えば、もう創作は一段落で、これからはバックパッカーとなって旅してみたいと思っています。行先は辺境と呼ばれるところ、しかし人が住み暮らしているところ、そんなところを訪ねて歩きたいと思っています。事実、そのような旅人の精神は若い時からあって、20歳でパキスタン、23歳ではまだ自転車と人民服で溢れていた中国を旅しました。また2002年にアフガニスタン、最近では2019年にシリア難民のキャンプをシリア国境に近いヨルダンに訪ねました。多くの人は僕のことを画家、彫刻家と思っているけれども、それは自分の中では半分ほどであり、ある人たちから見れば僕は森を作る人であったり、日本や近隣諸国の先住民族に興味を持って訪ねて歩く旅人であるのだと思います。

    Q-9. 創作人生を振り返りますと転換点として際立つ瞬間はありますか?その転機により、どのように貴方の芸術が変わったか、少し話してください。

    A. 1988年、作家になる意思もなく日本の美術大学を卒業して、なんとなく学生生活を続けたくてドイツのアートアカデミーを受験して奇跡的に合格してからの、ドイツでの「学生」生活です。ドイツでの学生生活では、美術という小さな世界ではなく、もっと大きなカテゴリーである人間としてありかたを学ばせてもらった気がしています。

    Q-10. 2011年の東日本大震災と福島第一原発事故が貴方個人にどのような影響を及ぼしましたか?これは作品中でどのように反映されているでしょうか?

    A. 美術の世界にいるのが当たり前になって、他の世界のことを考えなくなっていたことに気付かせてくれました。再び自己との対話を促すきっかけになったと同時に、社会や歴史、東北生まれの自分のアイデンティティなどを考えるきっかけになりました。

    Q-11. チェックリストの最初の二つの作品は「Stop the Bombs」 と「No War」です。これらの作品とその思想はなぜ貴方にとって大切なのでしょうか?

    A. 子供の頃にベトナム戦争がありました。それは初めてメディアが現地からの写真や映像をお茶の間に届けた戦争でもあります。写真家やリポーターが命がけで届けてくれたそれらのヴィジュアルは脳裏に鮮明に焼き付いています。当時は日本にある米軍基地を中継地点として多くの人員、物資がベトナムに運ばれて行きました。デモというものを初めて見たのも、戦争に反対する学生たちや市民グループのデモでした。また、この頃に生まれた反戦を主題とする多くのロックは自分の感情を大きく揺さぶりました。美術という世界に入る前に、何かを訴えるというような気持ちに共感したのが反戦運動でした。

    Q-12. 新しい本で、Yeewan Koon氏は神道の伝統と信念が貴方の作品に及ぼした影響について書きました。チェックリストの中に、これを考えさせる作品がいくつかありました。神道の伝統とその影響について聞かせてください。作品の中にどのように表れるでしょうか?

    A. 自分では深く考えたことはありません。自分自身は無宗教ですし、幼い頃から神道だけではなく仏教やキリスト教の子供向けの「良い話」を聴く機会はたくさんあり、また聴くのが面白かったです。そういう意味では、神道の影響は日常生活にあるとは思いますが、作品自体はいろんな宗教の影響を受けているのかもしれません。

    Q-13. 日本と海外で活発なファンベースがいますね。ファンの方々との関係はどのようなものでしょうか?ソーシャルメディアはこの関係でどのような役割を果たしていますか?

    A. 時に自分以上に作品を理解している、または愛しているような人に出会うことがあります。それはSNS上の会ったことのない人だったりしますが、そういう方々と美術以外の話、音楽や映画などの話題で盛り上がれることは、仲の良い友だちが出来たように嬉しくてSNSに感謝してしまいます。しかし、表面的な理解や単なる流行、あるいは経済的な価値として作品をとらえている人も多く、時にSNSを恨むこともあります。

    Q-14. チェックリストの中で、貴方にとって特別な意味をもつもの、特別な存在のものを2、3点教えてください。その理由も教えてください。

    A. 11の2点と下記の2点

    Miss Forest / Creamy Snow 2016
    2011年より制作を始めた粘土塑像による一連の作品の完成形かな、と思っています。大地から伸びるように生まれ、頭上に広がる空と交信するようなイメージです。太古から空と交信してきたような先住民の感覚に近いと思います。

    Wall Painting from Nara’s Cabin 2006
    2006年の小屋型のインスタレーションシリーズの中で、自分のスタジオ小屋の中にあった壁一面に描いたもので、解体時に壁だけを切り取ったものです。00年代は小屋型のインスタレーションを多く行ってきたのですが、結局のところ自分は平面に回帰していくのだな、とおぼろげながらも実感したのを覚えています。

    Q-15. 展覧会のインストールをペドロさんと一緒にするためにダラスに来られる予定ですか?

    A. もちろん!

    Q-16. 他に何か追加したいことはありますか?例えばこの会話の一部であるべきですが、触れていないトピックは何かありますか?

    A. 特にありません。ありがとうございました。